
第二回
パスかドリブルか
日本のサッカースタイルは『早いパス回しである』、と言われています。
なぜ日本はこのスタイルは選んだのか?
私はこの問いの答えは、寂しい消去法的なものだと思っています。
つまり、『ドリブルが苦手だからパスをする』というものです。
世界のサッカーシーンでは、ドリブラーと呼べるプレーヤーが華々しく活躍してきました。
古くは、ジャイルジーニョ(ブラジル)・ジョージベスト(イングランド)・マラドーナ(アルゼンチン)・・・・・。
最近では、ディウフ(セネガル)かな。
彼等は、世界のサッカーファンの目を釘付けにする魔法のようなドリブルを武器としてきました。
残念ながら、日本には過去にも・・・・
−あ、昔一人いました。セルジオ越後さん!でも彼も(ブラジル)ですね−
・・・・現在でも職人的なドリブラーは見当たりません。
それゆえ、結論として日本にはドリブラーはいない、育たない、と言われます。
なぜでしょう。
私は育たない、のではなく『育てていない』のだと思っています。
今、日本では全国で、それこそ幼稚園から資格を持った指導者たちが熱心に底辺の育成を
しています。それぞれが熱い志を持ち、明日の日本代表を育てんと、手弁当で汗を流し続けて
います。素晴らしいことです。
ですが、私は今、あえて日本サッカーの将来のために修正すべき点があると思っています。
日本には、小学生から日本一を決める大会があります。全国の予選を勝ち抜き、甲子園の
ように1ヶ所に集まり、勝ち抜きの試合をして日本一を決める、というものです。
サッカーをやっている方ならお分かりかと思いますが、勝ち抜きとリーグでは試合の
やり方は違います。
リーグ戦なら1つくらいの取りこぼしは許されるから、チーム戦術に各選手の個性を
前面に出すことが可能です。ところが、取りこぼし=即敗退、である勝ち抜きの場合は
その部分を捨てるケースがあります。シンプルに前へ。相手の裏へロングボール。相手ゴール
近くでゲーム展開をしていれば失点は少ないからです。
特にミスがある程度予想される若年層の試合では、このシンプルサッカーは有効です。
日本一になりたいチームはえてしてこの選択をするのではないでしょうか。
シンプルサッカーではドリブルは大方否定されます。ドリブルよりもキックされたボールは
早く確実に相手陣地に行くことができるからです。
そして多くの才能がドリブルの技能を磨くことなく、無為にただ勝つだけのサッカーを強いられて
いる。こんな悲劇がおこっているのではないでしょうか。
この環境では、ドリブラーは育たない。育てる気もない。
育てる、ということはチャンスを与えることです。後押しをしてやることです。失敗を容認する
ことです。次のヒントを与えてやることです。
このことを理解して育成をしているクラブも多くあることを知っています。しかし、どうでしょう。
肝心の親が本質を理解できず、勝つためだけの指導をしているクラブを選んでしまうことが
あるのではないでしょうか。長いスパンで子供の将来を考えられないことがあるのではない
でしょうか。
小学生・中学生の勝ち抜きによる日本一、っていったいどんな意味があるのでしょう。
サッカーというスポーツの特性を考えると私は積極的に評価をすることができません。育成
年代にトロフィーという型の結果を最終目的にして、やるべき本当の目的を見失っていると
したら、自分にもかかわることながら、哀れみすら感じます。
若年層において、育てる立場の人間は、試合を育成の手段と考えるべきで、その目的は
選手の才能を伸ばすことから、いささかもぶれてはいけないのです。ドリブル好きの子の可能性
を長い目でサポートしてあげることはできないでしょうか。
世界の舞台で活躍するドリブラーたちはきっと小学生でbPにはなっていないでしょう。数多くの
チャレンジの中で失敗と挫折を繰り返したからこそ、あの魔法を手に入れたに違いないのです。
そしてきっとかれらは、将来の可能性という、自分には当面見返りも何もない目標を信念を持って
追い続ける真の指導者と出会ってきたに違いないと思います。
トルシエからジーコへ。この変化は将来の日本のサッカーに一筋の希望の光をあてました。
決め事だけのサッカーからイマジネーションのサッカーへ。
次は、世界の舞台で、シザーズをマルセイユルーレットをエラシコを駆使して屈強なDFを
翻弄する日本人プレーヤー。それが実現したとき、本当の意味で日本のサッカースタイルが
完成するのではないでしょうか。
消去法ではない、合理的な選択からのサッカースタイルが。
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